札幌高等裁判所函館支部 昭和27年(う)36号 判決 1952年7月12日
控訴人 被告人 大和庄助
弁護人 杉之原舜一
検察官 後藤範之関与
主文
原判決を破棄する。
被告人を免訴する。
理由
弁護人杉之原舜一及び被告人の各控訴趣意は末尾添付の各控訴趣意書と題する書面記載のとおりである。
本件は被告人に起訴状記載の連合国最高司令長官の指令の趣旨に違反した行為があり、右は昭和二十五年政令第三百二十五号占領目的阻害行為処罰令第一条第二条の占領目的に有害な行為にあたるものとして、昭和二十六年三月一日起訴され、昭和二十六年十二月二十六日原審において有罪の判決言渡があり、これに対する弁護人の控訴趣意の要旨は、被告人に対する本件公訴事実に関してその後に刑の廃止があつたものであるというにある。
昭和二十五年政令第三百二十五号占領目的阻害行為処罰令は、昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」に基く政令であつて、連合国最高司令官の日本政府に対する指令の趣旨に反する行為、その指令施行のため連合国占領軍の軍、軍団又は師団の各司令官の発する命令の趣旨に反する行為及びその指令を履行するために日本政府の発する法令に違反する行為を占領目的に有害な行為として処罰するをその規定の内容とする。
しかるに平和条約が発効して連合国の日本占領が終了すれば、連合国最高司令官により行はれる占領政策の遂行ということはなくなるわけであるが、昭和二十七年四月十一日法律第八十二号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する件が公布せられ、「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件は廃止する」「勅令第五百四十二号に基く命令は別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、此法律施行の日から起算して百八十日間に限り法律としての効力を有する」と規定されて、その施行を平和条約の効力発生の日からと定められた。次いで同年五月七日法律第百三十七号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律」が公布され、「昭和二十五年政令第三百二十五号占領目的阻害行為処罰令は廃止する」「この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による」との規定が設けられ、この法律は公布の日から施行する、と定められたので、右立法措置によつて、昭和二十五年政令第三百二十五号占領目的阻害行為処罰令は「以下単に政令第三百二十五号という」右罰則適用の範囲内においては、これを廃止しないで、なお存続するものと解せられるから、占領中における連合国最高司令官の指令に違反した行為は占領目的に有害な行為として、今日なお政令第三百二十五号の罰則の前に曝されるわけである。
ところで、政令第三百二十五号を生んだ昭和二十五年勅令第五百四十二号「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」は同年九月二十日旧憲法第八条により制定された緊急命令で(以下単にポツダム緊急勅令という)その後議会の承諾を得て法律と同一視され新憲法が施行されても法律と同一の効力を以て行われたものであるとはいえ、その制定は日本がポツダム宣言を受諾し、降伏文書の調印により、連合国管理の下にあつて同文書の定める条項の実施のために、連合国最高司令官の発する命令に即応し、これを履行するに必要な緊急処置として制定されたもので、元来連合国の占領による統治下におけるやむを得ない措置であり、占領という特別事態を被らない場合の新憲法十全の機能のもとに制定された法律ではない。政令第三百二十五号はこれを基礎法として生れ、その規定の対象となつたものは、連合国最高司令官の権力に由来する指令であり、そして「日本政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施し占領政策を実行するために適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限下におかれ」「最高司令官に従属し」たものであるから、連合国最高司令官の日本政府に対して発した指令は、日本政府において、その実行を拒絶することはできないし、憲法の条規に照らしても、これに対し異議を述べることはできない性質のものであつて迅速にこれに即応して実施しなければならない指令は、憲法の条規の拘束を受ける性質のものではないと謂わなければならない。
されば、昭和二十年九月十日連合国最高司令部から日本政府宛の覚書「言論及ビ新聞ノ自由」における連合国に対する破壊的批評の論議を禁じた指令、昭和二十五年六月二十六日及び同年七月十八日マツクアーサー元帥の内閣総理大臣あて書簡におけるアカハタ及びその後継紙の発行停止に関する指令は、いずれも憲法第二十一条において国民に保障された言論、出版等表現の自由を抑制するものでありながら、この条規に抵触するものとして論ずべからざる所以のものは、一に右指令が前記のような性質を有するからであり、それ以外に右制限について直接憲法上の根拠があるものとはいゝ得ない。
政令第三百二十五号は、その規定の対象に右指令を包含し、前記立法措置によつて、占領時に行われた行為に対する罰則の適用につきなお存続するものとされたのであるが、平和条約が発効して、国が完全な主権を回復した現時においては、右罰則規定は新たにこれを国の最高法規たる憲法に照らしてその合憲性が検討されなければならない。よつてこれを憲法の条規に照すと、前記指令の性質上これを対照とするかぎり、右罰則規定は憲法第二十一条に牴触する違憲性があるものと判断される。しからばこの点において右罰則規定はその効力を有しないものであり、前記指令を対象とする範囲においては政令第三百二十五号の一部は平和条約の発効とともにその効力を失い、その部分について刑は廃止されたものといわなければならない。
しからば被告人に対する本件公訴事実は、刑事訴訟法第三百三十七条に規定する犯罪後刑の廃止あつたものに該当し、判決を以て免訴の言渡をなすべきものであり、弁護人の論旨は結局理由がある。
よつて爾余の論旨に対する判断及び被告人の控訴趣旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条により原判決を破棄し、同法第三百三十七条を適用して主文の通り判決する。
(裁判長判事 原田和雄 判事 小坂長四郎 判事 猪股薫)
弁護人杉之原舜一の控訴趣意
原判決は憲法に違反しておる。すなわち
(一) 昭和二十五年政令第三二五号は違憲立法であり無効である。かゝる無効の法律を適用してある原判決は当然に憲法に違反するものである。
二十五年政令第三百二十五号が違憲立法である理由はつぎの通りである。
(1) 右政令の基礎をなす昭和二十年勅令第五四二号が新憲法の実施にともないその効力を失つたものであることは既に論じつくされたものであることは周知の事実である。右政令が違憲立法でないとする従来の判例は正に詭弁にすぎない。
(2) 仮りに右の点を度外視するも昭和二十五年政令第三二五号は違憲立法である。すなわち
(イ) 昭和二十五年政令三二五号は昭和二十年勅令五四二号には『政府は「ポツダム」宣言の受諾に伴ひ連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する為特に必要ある場合に於ては命令を以て所要の定を為し及必要なる罰則を設くることを得』とあり。
連合国最高司令官がなす具体的な要求に係る具体的な事項を実施するに必要な定めを個別的に命令でなしうる旨を規定したものであり昭和二十五年政令第三二五号のように抽象的一般的に且「特に必要な場合」であると否とを問はず「連合国最高司令官の日本政府に対する指令の趣旨に反する行為」を命令で処罰しうることを認めたものでない。従つて昭和二十五年政令第三二五号はその立法の法的根拠を欠く違憲立法である。
(ロ) 間接管理の方式は連合国の我国に対する占領政策の一大原則である。間接管理の方式はポツダム宣言が第一項において連合国が日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするものでないと無条件に約束しておることの一つの具体的な政策である。占領治下にありながらも尚かつその範囲において自主性を承認し我国の民主々義国家としての再建を要請しておることはいうまでもない。
原判決引用の連合国最高司令官の指令が間接管理の方式により発せられたことは論ずるまでもない。原判決を解するにかゝる間接管理の方式により発せられた指令であつても特別の立法手続を要するまでもなくこの指令趣旨に違反する行為は昭和二十五年政令第三二五号第一条にいう連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣意に違反する行為として処罰されるというにある。右政令がかかる趣旨の立法とすれば間接管理の方式で発せられた連合国最高司令官の指令は直ちに実質的には直接管理の方式で発せられた指令と同一の効力を有することゝなり、占領政策の一大原則である間接管理の方式を全く蹂躪するものでありポツダム宣言を無視する立法であると同時に憲法がその前文において明かに宣言しておる民族の独立と自由を悉く抛棄せんとするものである。
(二) 本件「平和の声」は平和と独立自由をあらゆる迫害に抗し強く主張し訴えていることは明らかな事実である。かかる「平和の声」の頒布を罰せんとする原判決は平和と独立を強く打出しておる憲法を蹂躪したものである。
(三) 原判決は本件頒布行為を発行行為なりとしておるのであるが、かかる解釈は日本語に対する日本人の解釈ではなく罪刑法定主義の原則をとるわが憲法を無視するものである。
以上の理由により原判決は破棄せらるべきである。
弁護人杉之原舜一の追加控訴趣意
原審判決後本件に関しては刑の廃止があつたので原審判決は当然に破棄されねばならぬ。
(一) 昭和二十五年政令第三二五号は専ら連合国のわが国に対する占領状態を前提とし占領秩序の維持を目的とする立法である。従つて占領状態の終了、即ち本年四月二十八日を以て当然その効力を失うものである。昭和二十七年法律第八二号は平和条約発効と同時に実体的にその効力を失うべきポツダム政令を形式的にのみその効力を存続せしめようとするものであつて何等法的効力を生ずるものではない。昭和二十七年法律第一二七号は既に実体的にその効力を失つたポツダム政令がなお効力ありとする前提の上に立つての立法であるから法律としての効力を生ずる余地はない。
(二) 仮りに右の点を度外視するもなお刑の廃止があつたものと言はねばならぬ。本件は昭和二十五年六月二十六日附及同年七月十八日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官の書簡の趣旨に反する行為として昭和二十五年政令第三二五号第一条第二条により有罪の判決が原審においてなされたのである。しかし前記書簡は本年四月二十八日平和条約の発効と同時に当然その効力を失い、右書簡の趣旨に反する行為については昭和二十五年政令第三二五条第一条第二条による刑も亦同日をもつて廃されたものといわねばならぬ。
昭和二十七年法律第八一号によれば、いわゆるポツダム政令については平和条約発効日まで何ら立法上の措置がなされないものについては一定の期間その効力を有する旨規定されており、昭和二十五年政令第三二五条は平和条約発効後なお一定の期間その効力を存する政令とされておるのであるけれども、前記書簡の効力まで存続せしめる趣旨でなく、またいかなる法をもつてもその効力を存続せしめることはできない。従つて昭和二十七年法律第八一号により昭和二十五年政令第三二五号がその効力を存続しうるのは少くとも前記書簡の趣旨に反する行為を除外した範囲に限られるものといわねばならぬ。もし四月二十八日以後においてもそれ以前の前記書簡の趣旨に反する行為につき昭和二十五年政令第三二五条を適用せんとするのであればかかる「行為に対する罰則の適用についてはなお従前の例による」趣旨の立法措置が前記昭和二十七年法律第八一号において若くは四月二十八日以前に特になされねばならぬ。然るにかゝる立法措置は何等なされていないことは公知の事実である。
もつとも昭和二十七年法律第一三七号第三条第一項の規定があるけれども、それは昭和二十五年政令第三二五号がなお効力を存する範囲のみについてその規定があつて、すでに刑の廃止された前記書簡の趣旨に反する行為にまでその効力を及ぼすものではない。
被告人大和庄祐の控訴趣意
昭和二十六年十二月二十八日函館地方裁判所でなされた政令第三百二十五号違反被告事件に対する判決に全部不服として控訴した趣意申立てます。
一、「平和のこえ」紙を「アカハタ」紙の後継紙と認定することは不当であります。「アカハタ」は日本共産党の中央委員会の責任編集による中央機関紙であつた。これは一九五〇年六月日本共産党中央委員の公職追放と「アカハタ」の一ケ月発行停止、引きつずく「アカハタ」編集関係者の公職追放と「アカハタ」の無期限発行停止と、マ書簡によつて政府によつてなされた一連の処置自身それを物語つている。「平和のこえ」紙は大衆的政治新聞であつて組織的に、編集上において、日本共産党中央委員会及びその他同党中央と何等の関係はない。
二、「平和のこえ」紙の記事、論調が日本民族の独立反戦、反フアツシヨを基調とし、日本民族の要求として、国連協力-単独講和-軍事基地化-永久駐兵-完全植民地化コースに対する徹底反対、国連非協力-全面講和-非軍事基地化-占領軍の早期撤退によつて貫かれている。これは日本共産党の政策であり、従つて「平和のこえ」紙が同党中央機関紙であると認める証左であるとしています。これは明らかに吉田内閣の一方的な解釈として強制されている反動的反民主主義的政治的見解であると言えるが、正しいものでないことは明白であります。日本国民がポツダム宣言、日本国憲法に保証されている諸権利によつて当然主張し、行動できることであります。又それは決して日本共産党と同党員のみの政策、主張ではなく愛国的日本国民、良心的日本政治家、平和愛好の全世界民主主義者の共通した政治的要求であり、政治綱領に基いているものであります。これによつて日本共産党のみの政治活動とみなすことは日本の真の民主々者、愛国者を無視する暴論であります。
三、「平和のこえ」紙が民主々義的な大衆的政治新聞であることは明白であります。日本共産党がそうしたものとして「平和のこえ」紙を、民主民族戦線統一の立場から支持し、それに協力を全党員に指示したものとしても、「平和のこえ」紙が同党の中央機関紙たり得るものではありません。同党の機関紙活動の基本として細胞新聞が最重要なることを強調し、この基礎の上にのみ各派、各種の大衆的政治新聞の運用の必要が示されているのであります。民主々義的諸政党、諸団体、無党派の発行する大衆的政治新聞の運用が細胞新聞の基礎の上にたつてのみ正しい役割を果し得ることが指摘されているのは、それらが持つ性格が完全に同党の政策と同調されず、大衆的政治新聞が日本共産党の機関紙と違う点が注目されているわけであります。
四、「平和のこえ」紙が大衆的政治新聞として一般商業新聞とは異つた性格を持つていることは当然であり、従つて記事、論調も異つている事も当然であります。それによつて大衆的階級的政治的性格が商業的一般新聞より濃厚になることはしごく当然であります。新聞はそれぞれ文化、学芸、労働、政治などの特殊新聞として存在できるし、言論出版の自由はそれを保障しているわけであります。一般商業新聞の基準からのみ律し、又、共産党の政策との共通点のみを見て「平和のこえ」紙を「アカハタ」後継紙と断ずることは余りにも不当であり、こじつけであります。
五、日本の再軍備、軍事基地化、及朝鮮戦争に従事する国連軍への協力等は日本に対する占領政策に於いて規定されてはいず、それに対する政治的見解はいかようであつても占領政策違反として取扱うべきではありません。
六、新聞の発行行為を編集、印刷、経営以外に配布、頒布まで含めるのは明らかに通常の認識を逸脱している。殊に民主々義諸新聞の配布機関をその取扱い中の一新聞の発行々為に含めるとは全く度はずれの非常識であります。政府及び独占資本階級が放送新聞等の言論、報道機関を御用化し、圧倒的大部分をその支配下においている今日民主々義的新聞機関紙、誌の綜合的配布機構は、唯一の民主々義言論、報道の拠点であります。それえの弾圧は言論出版の自由を空文化せんとするものであります。
以上の諸点から見ても第一審の判決は全く不当であることを申立て控訴するものであります。